梵鐘の由来

中阿含と云う最も古い御経に次の様な話が載せてあります。

 

昔毘娑尺仏と云う仏が、波羅奈国へ御出世なされました。其の国王は悪邪衆生と申し性来邪見にして、嗔恚の心強く殺生の外別に仕事をせぬと云う程恐ろしい王様でした。

 

或時自分の領地なる国々へ使者を遣して鳥獣を初めとし、生物と云へば総て残りなく殺させましたが、命尽きて後その業復に依り頭の九つある大蛇に生れ変り、鉄囲山と云う山に住んでおりました。

 

然し報いはそれだけでなく剣輪と云う責道具にて足を切られ、切り終れは又出来、出来れば又切られると云うこと一日一夜に六度づつありました。

 

其の苦しさに堪へ兼ねて、彼九頭の龍は血に染みて泣き叫ぶ其の声は実に三千世界に響く程であつたと云う。

 

依つて思うに自分が王であつた時、毘娑尺仏と云う仏様がおられた。あの御方に御願いしたら此の苦しみも少しは減じて貰う事が出来るのではないかと。

 

そこで苦しさの余り、山中に法を説き給う毘娑尺仏を心に念じました。「唯願くば仏大慈悲を垂れて此の苦より我を救ひ給へ」と。

 

仏神道に依りこれを告げ給う。「悪邪王は平素仏法を信ぜず因果の道理も弁へず、悪業殺生をなせるに依り、今その報いに依り畜生に生れ、九頭の龍と化して、悶へ苦しんでおる今其の苦みに堪へ兼ねて全心に我を念ず、故に我此度彼を救ふべし」と。

 

玄に於て仏自ら竜の住む鉄囲山に御出になりました。すると例の足を切る剣輪が飛び廻つて竜の足を切り、切つては苦しめているので、仏は大神通力を以て右の手を挙げて剣輪を撫で給ふに、今迄足を切つて苦しみを与へていた責道具は大地に落ちて三界の形と化しました。

 

又左の手にて其の真中をさらつて引き挙げ給ふに、中央は高く辺旋は垂れ下つて鐘と変りました。そこで仏其の鐘を撞き給ふに、微妙の音を出して三千世界に響き渡りました。

 

然るに、今迄苦しんでいた九頭の竜は、此の鐘の声を聞き心の底に達せしか、其の功徳利益に依り、即時に竜身を離て天界の生を受け今迄味はざりし快楽を与へられました。

 

然も其の時、御相伴に此の音を聞いたものまで皆無量の徳を得たと説れてあります。

 

此の時仏衆人に「若し人ありて菩提心を発し成仏せんと思ふならば斯くの如き鐘を造りて鳴すべし、此の音を聞かは三悪四趣五独六弊の衆生皆其の苦より脱れて菩提を証ることを得べし。」 と此れがそもそも鐘の起りであります。

 

其の後釈迦如来の時になりまして、或時大衆を呼び集めて如上の大因縁を説き、自らも其の功徳の大なるに感じ。日蓮尊者に告げ給ひ「我も亦艮婆尺仏の如く鐘を造りて衆生を済度せん」と、即ち金銀銅の金属を集めさせられ、滝達三昧に入り給ひしに、此の金属は眉間の自宅より放ち給ふ光に照されて、悉くとろとろの湯となつたから、世尊はこれで鐘を造らせました。

 

此の時西方浄土の三十七尊は、諸々の御菩薩と共に頂を垂れて顕現れ給ひ、共の外堅牢地神などの神々も又釆て護らせられた、仏又日蓮導老に仰せらるるには「今此の顕現ありし仏菩薩を初めとして、諸天神をも写し奉れ」と。日蓮は其の命を受けて之を瓶に写し奉り、仏は白幅の荘厳八万四千の印文を手づから書き給ふとあります。是が釈迦如来の鐘を鋳給ふた初めで然も前の毘裟尺仏を模範とし鋳給ふたのであります。